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敵は本能寺にあり

天正10(1582)年6月2日、明智光秀が主君・織田信長を討つがために、攻め入ったのが本能寺である。この日、信長の手元にはわずかな近習しかった。光秀は1万3000の手勢を率いての謀反である。信長が討たれるには、さほど時間はかからなかった。信長は自害したと言われているが、焼け跡から信長の遺体がなかったことから、逃げのびたと言う説もある。一方、光秀が謀反に及んだのか。怨恨、天下取りの野望、朝廷守護など諸説があるが、真相はわかっていない。
法華宗本能寺の創建は応永22年(1415)に日隆上人によって創建されて当初は本応寺と呼ばれ、四条西洞院の一角に30余坊を構える大寺院だった。しかし、天正15年(1587)に豊臣秀吉の都市計画によって現在の場所(中京区寺町通御池下る)に再建された。境内には、織田信長や森蘭丸の供養塔が建っている。
また、本能寺の「能」の字は右側の2つの「ヒ」が「去」のような字に替えられている。これは本能寺が度重なって焼き討ちに遭っているため、「『ヒ』(火)が『去』る」という意味で字形を変えていると言われている。
毎年、信長の命日の6月2日と3日に“信長まつり”が盛大に行われている。

【アクセス:地下鉄「京都市役所前」駅徒歩1分】






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