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おやくっさん…因幡薬師

近所の人は因幡薬師”おやくっさん、やくっさん”と親しみ呼んでいる。正式には”平等寺”と言う。真言宗の寺である。
”おやくっさん”は浄瑠璃の発祥の地ともいわれ、多くの狂言が上演された。江戸時代になると境内での歌舞伎の興行が盛んに行われていた。最近では毎月8日にフリーマーケット「因幡薬師てづくり市」が開かれ、20店ほどの店が出る。

この寺の起りは、『京都因幡堂平等寺略縁起』によると、平安中期、因幡国(鳥取)へ代参していた橘行平(たちばなのゆきひら)は神事が終わって帰京しようとしたが病から寝込んでしまう。行平はひたすら平癒を祈っていたところ、ある夜の夢に異様な姿の僧が現れ 「この国の賀留津(かるつ)の海中に一つの浮木がある。その浮木は世の全ての人々に神の恵みを与えるために、遠い仏国土から来られたものである。速やかにその浮木を引き上げ、ひたむきに供養すれば病気は治り、願いが叶うであろう」と告げた。行平は不思議な夢に心を動かされ、病をおして賀留津に来てみると安太夫(やすだいふ)と名乗る老人と出会い、老人から「この沖の海底に四方に不思議な光を放つものがある。人々はみな恐れ、心配している」と告げられた。早速、行平は1本の浮木を海中から引き上げた。近づいてこれを見てみると、それは御丈5尺あまりの薬師如来の尊像で、行平は信心を尽くしてこれを供養すると、たちまち病気が治ったという。大変喜んだ行平は、この浦に草堂を建て、薬師如来像を安置し帰京した。
京都へ戻った行平は、忙しく役所の仕事を務めていた。ある夜のこと、邸宅の西門で家人を呼ぶ声がする。家人が名を問うと「因幡の僧である」と答えた。行平は、“因幡”と聞いてすぐに門を開けさせると、外には誰もいなく薬師如来像があるのみであった。行平は驚き尊像を大切に取り上げ、すぐさま屋敷を寺にして尊像を安置した。これが平等寺である。このことから平等寺のことを因幡堂や因幡薬師と呼ばれるようになった。参拝:境内自由。

【アクセス:市バス「烏丸松原」下車すぐ】




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